「AIで何かできないか」の限界
ここ半年で起きていることは、もう少し根が深い変化です。既存の業界に、まったく別の設計思想を持つプレイヤーが入り込み、これまでプロフェッショナルの専門性や時間と引き換えに提供されていたサービスを、エージェントのチームが担うかたちに作り替えています。単なる効率化ではありません。ビジネスモデルの解体と再構築と言っていいかもしれません。
その中心にあるのが、「AIオーケストレーション」という設計思想です。
AIオーケストレーションとは何か。
複数のAIエージェントを連携させ、単独では達成できない複雑なタスクを自律的に遂行させる仕組みです。
- 従来のAI活用:ある業務をAIで補助する。いわゆる「AIに聞く」使い方
- AIオーケストレーション:業務のゴールをエージェントに渡し、分解・実行・結果統合までを意図的に委ねる。
人間の役割は「手順を管理すること」から「判断が必要な局面に介入すること」に移ります。これが、「AIを使う」ことと「AIオーケストレーションで設計し直す」ことの本質的な差です。
Anthropicの関連調査や研究発信でも、AIエージェントの実運用化が急速に進んでいることが示されています。すでに一部の企業では、本番環境で使われる業務基盤の一部としてエージェントが機能し始めており、マルチステップのワークフローへの実装も広がっています。Google DeepMindのデミス・ハサビスも、今後1年でAIエージェントの信頼性が大きく高まるとの見方を示しています。Googleは2025年4月、異なるベンダーのエージェント同士が連携するための業界標準規格「Agent2Agent(A2A)プロトコル」を発表し、SAP・Salesforce・ServiceNow・Workdayなど50以上のテクノロジーパートナーが参加しています。インフラが整いつつある、ということです。
既存業界に起きているビジネスモデル再定義の事例
面白いのは、この設計思想を最もうまく使っているのが、新興のテック企業だけではない、という点です。
法律業界 × AIエージェント基盤 = Harvey

法律事務所向けAIプラットフォームのHarveyは、2026年3月に顧客が自社業務用の独自ワークフローをセルフ構築できる機能を公開しました。すでに2万5,000以上の独自ワークフローが構築されています。契約書の精査、デューデリジェンス、訴訟準備資料の作成。従来は高度な専門知識と多くの時間を要した業務が、エージェントチームの協働によって処理されます。評価額は110億ドル規模に達しており、「法律業務そのものをサービスとして提供する会社」から「法律エージェントを動かすプラットフォームを提供する会社」への転換が起きています。
医療 × 患者対応エージェント = Hippocratic AI

医師不足が深刻なアメリカで、Hippocratic AIは患者向けの非診断的タスクを担うエージェントを開発しています。服薬確認、予約調整、術後フォロー、慢性疾患の生活指導。医師や看護師の時間を本来業務に集中させるために、周辺業務をエージェントが担うかたちです。2025年には、AI関連企業がデジタルヘルス資金調達の過半を占める局面が現れ、臨床文書化や運用支援の領域を中心に資金流入が加速しています。Hippocratic AI自身も2025年11月に1.26億ドルを調達し、評価額は35億ドルに達しています。
医療ドキュメント × 会話記録AI = Abridge

医師と患者の会話をリアルタイムで構造化されたカルテに変換するAbridgeは、医師が患者との対話により集中できるようにすることを目指しています。電子カルテ入力などの文書業務が医師の大きな負担になっている中、Abridgeは会話をリアルタイムで構造化し、臨床的に有用な記録へ変換することでその負担の軽減を狙っています。これは業務効率化ではなく、医師という職業の再定義に近い変化です。
建設エンジニアリング × 生成AIプラットフォーム = AECOM

世界規模のエンジニアリングファームAECOMは、社内向けAIプラットフォームを独自開発し、インフラ設計にAIを導入しています。設計案の最適化や材料使用の削減余地を探る取り組みを進めており、社内外の情報資産をAIで活用することで、設計・運営・顧客対応の高度化を目指しています。2025年にはConstruction Management事業の戦略的見直しを進めたものの、2026年初には継続保有の判断を示しており、より利益率の高いデザイン・エンジニアリング・AIアドバイザリーへの注力を鮮明にしています。
カスタマーサービス × 記憶を持つエージェント = Sierra

Salesforceの元co-CEOのBret Taylorらが創業したSierraは、顧客対応エージェントの設計思想を根本から変えました。Sierraのエージェントは顧客との過去のやり取りを完全に記憶した状態で対応し、返品、アカウント変更、サブスクリプション管理といった複合的な業務を自律的に完結させます。「何人もの担当者にたらい回し」という顧客体験が、コンテキストを持つ一つのエージェントに置き換わります。2025年9月に3.5億ドルを調達し、評価額は100億ドルに達しています。
事例から読み取れるビジネス設計思想の変化
これらの事例に共通するのは、「既存業界の業務構造に対するアンチテーゼ」として設計されている、という点です。
Harveyは「法律家の時間コストが高い」という構造に対して、エージェントが並行処理するモデルで向き合っています。Hippocratic AIは「医師の数が足りない」という問題に対して、周辺業務をエージェントが肩代わりするかたちで答えています。AbridgeはNVIDIAのAgent Toolkitが示すような「エージェントが企業インフラとして機能する」世界を、医療ドキュメントという具体的な業務から先行実装しています。
重要なのは、いずれも「AIが人間の代わりをする」という話ではない、ということです。「AIが担う領域を明確にすることで、人間が担うべき本質的な業務が浮かび上がってくる」という設計です。
まちづくり・社会課題に向き合う企業が考えるべきこと
構造変化の本質は業界を問いません。
まちづくりや都市開発に携わる企業の業務を、改めて見渡してみてください。
自治体との協議プロセス、住民説明資料の作成、許認可書類のとりまとめ、複数の協力会社への情報連絡、施工中のRFI対応、事業の収支シミュレーション。「高度な判断ではないが、専門知識が必要で時間がかかる」業務が、プロジェクト全体のリードタイムを押し上げています。
前出のAECOMはこの領域でAIの活用を進めており、設計・運営・情報管理の高度化に取り組んでいます。
Arupの2025年5月公表の調査では、建築家・エンジニア・都市計画担当者の36%がAIを日常的に活用していると回答しており、都市計画や気候変動影響のシミュレーションにも大規模AIが入り込み始めています。
より根本的な問いを立てるなら、こうなります。まちづくりや社会課題への取り組みには、「住民の合意形成」「行政との調整」「長期的なプロジェクト運営」という、人間が判断し続けなければならない本質的な業務があります。AIオーケストレーションはその周辺の時間コストを削ることで、担当者がこの本質に向き合える時間を生み出す手段になり得ます。技術を目的にするのではなく、「何のためにエージェントを使うか」を先に決める。それが、社会課題に向き合う組織にこそ必要な問いです。
一方、人材の課題も残り続ける
前向きな事例を並べた後で、正直に言わなければならないことがあります。
AIオーケストレーションの設計は、ITの問題ではなく経営の問題です。「エージェントに何を委ねるか」を定義することは、業務設計の根本的な問い直しを伴います。この設計ができる人材が、今のほとんどの組織には存在しません。「AIに聞けばいいや」に終始し、設計が追いつかないまま情報が流れ出ていく、というパターンは今後も多発するはずです。
責任の帰属は、まちづくりや都市開発において特に重要な問いです。住民の生活や公共空間に直接影響する業務でエージェントが判断した結果に、誰が責任を持つのか。これが曖昧なまま進めると、後から大きな問題になる可能性があります。行政や地域住民との信頼関係が商売の基盤であるまちづくり系企業にとって、ガバナンスの設計は特に慎重に扱うべき問題です。
Forresterも、ROIやガバナンスの課題から、多くの企業が2026年を通じても慎重姿勢を続けると見ています。エージェントに業務の文脈を正確に伝えることなしには、「賢いが、正しくない」判断が生まれます。「業務を言語化してエージェントに教え込む」作業は、地味ですが、AIオーケストレーションの成否を分けます。残念ながら、この作業をAIに任せることはまだできません。
おわりに
法律、医療、カスタマーサービス、建設エンジニアリング。これほど異なる業界で、似たような構造変化が同時に起きていることは、偶然ではありません。いずれも「複雑な専門知識と多くの時間を要する業務」を抱えていた業界です。繰り返しですが、まちづくりの業界も、例外ではありません。
「専門的な業務を、エージェント前提で再設計できるか」という問いに答えられた組織が、業務の設計を先に変えています。残念なことに、大量の人を抱えた大企業では、ここに人と時間をかける発想がまだ薄いと言わざるを得ません。
社会課題に向き合う組織が持つべき問いは、「どのAIを選ぶか」ではありません。「AIを使う事で、業界の当たり前を破壊できないか?」です。そこに仮説を持ち、動けた組織から順番に、次のまちづくりの当たり前を作っていくのだと、私たちは考えています。
参考出典
- Anthropic, 「2026 Agentic Coding Trends Report」および関連エージェント研究 (2025-2026)
- Google Cloud, "AI Agent Trends 2026" (2026)
- Gartner, AIエージェント普及予測 (2025)
- Forrester Research, "Predictions 2026: Intelligent Automation" (2025)
- Harvey, カスタムワークフロー機能公開・資金調達報道 (2026年3月)
- Hippocratic AI, Series C 調達・患者対応エージェント事業報告 (2025)
- Abridge, 臨床ドキュメントAIサービス展開 (2025)
- AECOM, "AI for Engineering Platform" 発表 (2025-2026)
- Arup, "Embracing AI: Reshaping Today's Cities and Built Environment" (2025年5月)
- Sierra, AgentOS 展開事例・資金調達報道 (2025)
- Google, Agent2Agent (A2A) Protocol 発表 (2025年4月)
- NVIDIA, "Agent Toolkit" GTC 2026 発表 (2026)
